村山聖を松ケンで映画化!羽生善治のライバルの天才棋士から学ぶこと

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勝負の世界には、後悔も情けも同情もない。あるのは結果、それしかない

勝負の世界、将棋界で病気と闘いながら必死に生きて、29歳で早逝された棋士、村山聖さんの言葉(名言)です。

皆さんは、村山聖さんをご存じでしょうか?

 

将棋界で圧倒的な強さを誇る羽生善治さんは有名だと思います。

年間、7つのタイトル戦が将棋界にはあるのですが、羽生名人は全てのタイトルを同時制覇され「七冠」を達成されました。

そんな羽生名人ですが、もし村山聖九段が生きていたら羽生名人の七冠は阻止されていたかもしれない、といわれております。

以下は二人の対局成績です。

  • 羽生名人:7勝
  • 村山九段:6勝

 

ほぼ、互角です。

故に、村山九段は生前、羽生名人の最大のライバルと言われておりました。

羽生名人は、村山九段のことについて以下のようにコメントされております。

  • 誰も気付かないような意外性がある手を指せる棋士
  • 彼は本物の将棋指しだった

 

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そんな村山九段のことを書いた大崎善生著のノンフィクション作、『聖の青春』が映画化。

そして、”松ケン”こと松山ケンイチ(30歳)さんが主演することが分かりました。

 

松ケンさんは役作りのために体重を増加させるために肉体改造した結果、村山九段にそっくりに!

20キロ以上も増量するなんて、さすがプロの役者さんです。

今回、村山九段を演じるにあたり、「全身全霊をかけても足りない」とコメントされており、並々ならぬ意欲を燃やされております。

映画は今秋に全国公開予定。

楽しみです。

 

夭折した天才、村山聖棋士が教えてくれること

人生(時間)は有限。やりたいことがあったら今、やる!

人生の正体は「時間」です。

いまこうしている間にも、我々はそれぞれの人生の終着駅へと進んでおります。

その終着駅は、今いるところから何駅先かは、私たちには分かりません。

 

村山聖さんは5歳のとき、「ネフローゼ症候群」という病気にかかり、以後、入退院を繰り返すことになります。

病気により、院内学級に通い、普通に外で遊ぶこともできない聖少年は自暴自棄になりますが、父親からプレゼントされた将棋盤と駒が彼の人生を変えました。

将棋との出会いです。

 

以降、メキメキと頭角を現し、13歳の聖少年はプロの将棋指しを目指すことを親に打ち明けます。

病のこともあり、反対していた両親に対し、

「俺には時間がないんだ…今しかないんだ、お願いします」

 

と、聖少年。

両親の了解を得て、プロ棋士(森信雄さん)の内弟子となりました。

 

学び

幼いころから入退院を繰り返していた村山さん。

あたかも、自分の人生はそんなに長いものではない、ということを予知していたかのようです。

何か、新しいことをやろうとしたとき、ついつい

またいつかやればいいや

と思ってしまいがちです。

でも、貴方の乗っている電車の次の駅は、人生の終着駅かもしれません。

そう思うと、やりたいことがあるのに先延ばししている場合じゃ、ありませんよね?

 

村山聖さんは病持ちであった故に、幼少期から死生観と向き合わざるを得ない状況にあったのでしょう。

Live Each Day As If It Was Your Last

アップル創業者の故人、スティーブ・ジョブス氏の言葉です。

あたかも今日が自分の人生最後の日のように生きろ。

やりたいことがあるのは、素晴らしいことです。

是非、今この瞬間から、小さいことでもいいのでスタートしてみましょう!

少しずつ、少しずつですが、確実に人生が変わっていきます。

 

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夢をもつことの大切さ

ぼくにはね夢が2つあるんだ。1つは名人になって将棋を辞めてのんびり暮らすこと。もう1つは素敵な恋をして結婚し子どもをつくること

村山聖さんが語った夢です。

名人という夢。そして、家庭を持ち、子宝に恵まれるという夢。

 

村山さんは1997年、進行性膀胱癌が見つかり入院されます。

手術すると子供を作れなくなってしまうため、最後まで手術を拒否されたようです。

そして名人への夢は、病により夢半ばで終わってしまいました。

 

結果的には、村山さんの夢が叶いませんでした。

特に、将来子供を持ちたいという夢を失ったときの村山さんの心情は察するに余りあります。

ですが、病というハンデがありながら、名人になるという夢を原動力に、将棋界の最上位「A級」に駆け足でかけ上がった村山さん。

その実績は、才能もさることながら、夢の持っている人間がなせる業といえるでしょう。

 

学び

大人になると、「夢」を持つって青くさく感じるかもしれません。

でも大人は分かっているのです。経験的に。

夢って一見、キラキラしておりますけど、それを叶えるための道のちはスゴク険しくシンドイってことを。

大人になればなるほど、「もう傷つきたくない!!」って臆病になりがちです。

ヘタな夢を持ちさえしなければ、挫折することもない。

そうして、多くの大人は折角、自分の心に芽吹いた夢をこころの隅に押し込めようとします。

 

でも人の心に生まれた夢は決して無くなったりはしません。

ずっと、心のすみっこのどこかで生き続けます。

そして、自分の夢に顔を背けてしまった人は、いつか再び、その夢と対面せざるを得なくなる場面に出くわします。

 

その時、

自分の残された時間が短かった場合、

次の駅が人生の終着駅だった場合、

人は後悔します。

強く強く、後悔します。

 

 

どうせ後々、後悔するくらいなら、今、夢をしっかり自分の受け止めて、夢に向かって頑張るのがベストでしょう。

結果、夢が叶わなくても、思いがけない大切な何かを得ているはずです。

 

 

村山VS羽生、最後の対局。そして村山さんの最後の言葉

羽生名人との最後と対局はNHK杯決勝。

それまでも対戦成績は6勝6敗の五分。

実は、このとき村山さんはガンが再発しておりました。

が、そのことは世間に隠して、羽生さんとの大一番に臨んでおりました。

 

村山九段優勢で進んでいたものの、最後に秒読みに追われて信じられない痛恨の一手。

これが勝敗を分け、優勝を逃しました。

局後、村山九段は笑顔でこうコメントされました。

優勝したはずなんですが、ポカしてしまいました(笑)

詰めが甘い」とは将棋の世界で使われた言葉です。

勝利を目前にして、自分のポカで逃してしまい、ご本人も相当に悔しかったはずです。

ひょっとしたら、病の影響で集中力が途切れてしまったのかもしれません。

 

 

1998年春、癌の再発・転移が見つかり、「1年間休戦し療養に専念」する旨を公式発表。…

1998年3月の最後の対局を5戦全勝で終えて将棋対局の場から離れ、そして、A級復帰祝賀会が村山最後の表舞台となった。1998年版「将棋年鑑」のプロフィールでは、「今年の目標は?」との項目に「生きる」と書き残している。
以降、逝去するまで広島大学病院の名札の無い病室でひっそりと過ごし、1998年8月8日、29歳で死去。

薄れていく意識の中で棋譜をそらんじ、「……2七銀」が最後の言葉であったという。

引用 – Wikipedia 『村山聖(むらやま さとし)』

 

病のせいで、村山九段は対局が終わると毎回、高熱が出たそうです。

身体への負担は相当なもので、まさに命を削りながら、一手一手、将棋の駒を指していたわけです。

短い人生ながら、誰よりも熱く、そして何より懸命に生きた村山聖さんの人生から、我々が学べることはたくさんあります。

 

 

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